2017-04-19 第193回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号
先ほども委員からお話がございました紀宝町のように、多くの関係機関が連携いたしました多機関連携型のタイムラインにつきましては、関係機関が多岐にわたって、調整も一定の時間を要することから、現在、各地方整備局の管内で二地域程度を基本に、全国二十地域で取り組みを進めているところでございます。
先ほども委員からお話がございました紀宝町のように、多くの関係機関が連携いたしました多機関連携型のタイムラインにつきましては、関係機関が多岐にわたって、調整も一定の時間を要することから、現在、各地方整備局の管内で二地域程度を基本に、全国二十地域で取り組みを進めているところでございます。
さらには、紀宝町のように、関係機関が非常に連携しながらの、本格的なと言ったらちょっと言い過ぎになりますが、タイムラインについても二十地域を基本に進めていきたい、こういったお話をいただきました。 実は、関東・東北豪雨の常総市、さらには昨年八月の台風十号の岩泉町では、タイムラインは策定されていないという状況がございました。
このタイムラインにつきましては、平成二十三年九月に発生した紀伊半島大水害、これは私の地元でございますけれども、ここで甚大な被害が発生した三重県紀宝町において、その災害対応の教訓から、全国で初めて導入されたものでございます。
とりわけ、タイムライン、先ほども中川先生おっしゃいましたし、紀宝町の方にも何度も足を運ばれているということをお伺いいたしておりますけれども、このタイムラインというのは、関係機関があらかじめ時間軸に沿って防災行動を定め、円滑に災害対応を行うことにより、住民みずからが早目早目に行動できるようにする極めて重要な取り組みであると考えております。
私は、今後の洪水対策については、着実なハード整備を進めるのとともに、現在、三重県の紀宝町などで取り組んでいる、タイムラインを初めとしたソフト対策の充実を図るべきではないかというふうにも思っておりますが、まずは、この点につきまして国交省の見解をお伺いしたいと思います。
紀宝町も、いわゆる水害の、被害の反省からこのタイムラインの策定に入ったわけでございまして、これの横展開をぜひともお願いしたいと思っています。 このタイムラインにつきまして、国交省は現在、二つの考え方で進められているんじゃないかなというふうにも思っております。 その一つが、洪水時、避難勧告の発令に着目したタイムライン、私はこれをいわゆる簡易型タイムラインというふうに呼んでおります。
二〇一一年、紀伊半島大水害を経験しました三重県最南端の紀宝町、紀州に宝と書きますけれども、ここではこれを初めて台風対策として導入いたしました。先般、今年の九月に台風十八号がありましたが、計画的に対応ができたということも聞いております。逆に、行政がこういう計画的に対応しているので住民の方の信頼感も上がりまして、住民と行政の一体した避難計画もできるという成果も上がっております。
南海トラフにおいて今後三十年以内にマグニチュード八から九の地震が発生する確率は七〇%と言われておりまして、皆様御承知のとおりでございますけれども、紀伊半島の新たな命の道となる熊野尾鷲道路の二期工事、そして熊野道路また新宮紀宝道路などの着実な整備推進、そして長年ミッシングリンクとなっております近畿自動車道、そして熊野インターチェンジ、串本インターチェンジの四十キロメートルの未事業化区間。
今委員御指摘のとおり、三重県の紀宝町におきましてタイムライン的な考え方を取り入れて、要するに、一定のときにそこを、時間をセットして、それより前に、例えば避難所をいつ開設するか、その前に防災安全施設をいつ点検するかとか、そういうようなことをやっておりまして、そういったことも、今回のガイドラインの中でなるべくそういった考え方も取り入れるようなことを指導してまいりたいというふうに考えております。
また、二〇一一年の、あれ台風十二号だったと思いますが、紀伊半島、大変な洪水になりまして、私、要するに和歌山、奈良、三重、大変な状況で、この三重県の方に、熊野の方の紀宝町の方まで行ったら、本当にもう信じられないでかい岩がごろごろっと川伝いに落ちてきて護岸工事がぶっ潰していると。
たしか、藤田委員のお地元におきましても、昨年の台風十二号で、三重県の紀宝町等々、甚大な被害が出たと承知をしております。まずもって、改めてお見舞いを申し上げたいと思います。その上での、そうしたお地元の状況を踏まえた上での今回の豪雨災害に対する御関心の高さ、改めて敬意を表させていただきたいと思います。
あのとき、三重県紀宝町まで私行ったんですよ。同僚の荒木議員は、四十二号線通れないから和歌山の方からぐるっと回っていったという。本当にきっちりした社会インフラがなければ助けられる者も助けられない。
そのために逃げ遅れた方がたくさんお見えになるわけなんですが、特に、皆さんにも見ていただいた三重県の紀宝町で聞いた話では、かつてのものであれば伊勢湾台風が一番大きな被害があの地域では出たんですけれども、伊勢湾台風のときもここまでは来てないから大丈夫だというような話があって、結果的に亡くなった方もあるというふうに聞いています。 その意味で、近くへ行くと、伊勢湾台風よりも大きな被害で過去最高だったと。
○高橋千秋君 今二万二千トンというお話がありましたけれども、委員の皆さんにもあの現地へ行っていただいて、新宮川というか熊野川の周辺を見ていただきましたけれども、それだけの雨量が降れば当然あふれてくるわけで、紀宝町と新宮の間を流れる新宮川があれだけの流量、水があふれるというのはなかなか想像もしにくい状況にあったんではないかなと思います。
それから、今回大臣にも現地を見ていただきましたが、紀宝町では特異なやり方で防災をやっています。これは輪中という、私たちが小学校のときに教科書で習った、これも三重県にありますが、北の方の桑名の辺りに長島町というのがあって、昔、伊勢湾台風のときにつかったゼロメートル地帯を輪中という形でやっております。
次いで、三重県紀宝町役場において、鈴木三重県知事及び西田紀宝町長から被害状況について説明を聴取するとともに、災害復旧事業査定の簡素化、早期の事業採択、補助率の拡充等国による積極的な財政支援、流木処理への支援、高速道路未整備区間の早期事業化、合併特例債の発行期限延長、洪水時における発電用ダムの操作規定の見直しなどについての要望を伺い、見舞金を手交した後、同町の鮒田水門、高岡地区を経て大里地区の被災現場
三重県紀宝町の熊野川支流では、堤で覆った中に住宅を建てる輪中堤を越えて水があふれ、大きな被害をもたらしました。輪中堤の高さは、川の水位を最高で九メートルと想定し、九・四メートルで造ったものでしたが、今回の豪雨による濁流は結果的にこの想定をはるかに超え、多くの住居が水につかり、堤防そのものも破壊されました。 奈良県十津川村では、道路の寸断が救援を妨げました。
私も七日の日に三重県の熊野市や紀宝町に行ってまいりました。熊野川の支流の相野谷川がはんらんをしたわけでありますけれども、行ったときはもう水が引いておりました。
○荒木清寛君 次に、この三重県紀宝町では、熊野川の支流の相野谷川がはんらんをしまして甚大な被害が発生をしましたが、その中で輪中堤ですね、堤、これが三か所あるんですけれども、全部溢水しまして浸水を防ぎ得ませんでした。
私は三重県の紀宝町に行きましたが、清水をくんでバケツで水を流しておられました。 そこで、特に上水道の復旧について、これは自治体任せでは当然なかなかいかないわけですから、政府も全面協力して、いつごろまでに各地域における上水道の復旧ができるのか。私は紀宝町で聞きましたら、ここは取水施設のポンプが土砂と浸水で破壊されておりまして、数か月直すには掛かりますと言っておられました。
和歌山県では、和歌山県知事や那智勝浦町、新宮市の関係者から、三重県では、三重県知事や紀宝町の関係者から被害状況について御説明いただくとともに、被災現場調査を行いました。さらに、同じく六日には、前田国土交通大臣を団長とする政府調査団を奈良県へ派遣し、奈良県知事や五條市、十津川村、川上村の関係者から被害状況について御説明いただくなど、現地の被害状況をつぶさに調査してまいりました。
今回、被災現場に行って、これは紀宝町でございましたけれども、もう既に学校としては使われていないところが避難所になっておりました。その避難所のところに地域住民が避難をしておりまして、たまたま二階に上がっていたんですが、その背後で土砂崩れが起きています。
これも、三重県の一番南に紀宝町というところがあるんですが、ここに国土交通省の御努力で輪中を造っていただいたんですね。三重県の北部の方に輪中地域というのがありますが、いわゆる堤防をぐるっと囲んじゃうんですね。なぜそんなことをするかというと、その地域は、昔の人に話を聞くと、ここはしょっちゅう水がつかって、三年か四年に一度水つかってたと。
○高橋千秋君 それと、もう一つは、県境をまたぐ広域化ということについてお聞きをしたいと思うんですが、大臣の出身地でもある和歌山で、世耕委員長も和歌山でございまして、私はお隣の三重県でして、御存じかと思いますが、新宮と三重県の紀宝町は橋一つですよね、それも短い橋で。私は紀宝町へ行くときは必ず新宮に泊まるんですが、そういう行き来があるんですね。
今日のこの質問を作っている最中に地元が冠水したというふうな話がありまして、特に三重県でいうと熊野川というのが、川があるんですが、そこの横の紀宝町というところがありますけれども、そこがまた冠水いたしまして、住宅地が、一階部分がつかったという、そういう報告も来ております。
○高橋千秋君 昨日、私は三重県の、私、地元三重県ですが、三重県の一番端っこの、川を渡ると新宮という紀宝町というところへ行ってきました。そこの上に紀和町という村、町があるんですが、町ですけれども、ここの高齢化率、六十五歳以上の方が五五%なんですね。そうすると、これは合併、今進めておりますけれども、それでもそんなに大きく変わらないんです、この高齢化率等については。
ところが、ここでこの合併が、いわゆる南牟婁郡と熊野市というところ、一部はもう世耕さんの近くの和歌山の近くですが、ここの辺り全部合併する予定で進んでいたのが、ある日突然、何か庁舎の位置が気に入らないとか、それからあの村長が気に入らないからとかでばらばらになっちゃいまして、結局、和歌山の隣の紀宝町と鵜殿村というところだけがひっ付いて、今度はまた別のところが、残されたところが怒りながらまた別のところと合併
例えば三重県だけでいっても、一番南の新宮市と紀宝町というところがあるんです、この和歌山県との境のところ。ここは、三重県の方は和歌山の放送を見ています。ほかにもいろいろあると思うんですね。だから、そういうことに対してやっぱり総務省として、これは、民間放送局同士の話合いとは言いながらもこれは文化の問題になってきますので、是非総務省として指導していただきたいと思うんですが、いかがでございましょうか。
その中で、やっぱりこれは行政の区切りの問題かも分かりませんが、私の地元の三重県でも、御存じだと思うんですが、新宮との境の紀宝町というところがあります。それから、愛知との県境のところで木曽岬村というのがございます、木曽岬町になりましたか。むしろ紀宝町なんかは新宮市と合併したらどうなんだという声が非常に強いです、地元は。